きのこちゃん絵日記2

きのこちゃん絵日記リターンズ 〜生息47年目。関節リウマチで休養中。もがく日々の備忘録〜

1159 ネットカフェで読書

本日は、購入したもう一足の冬靴を試すべく、

図書館よりは近い場所にある、

いつものネットカフェへ行ってきました✨

 

こちらの冬靴の履き心地も良い感じでした♪

満足、満足♫

 

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本に集中。

 

 

やっとこ読破しました💦

 

加藤諦三先生の本は、

どれも難解💦

だけど、何故か、

なんとなく解る気がする✨

 

「本当はネコなのにイヌとして生きてきた」

 

なんて文章が目に入ってきて、

興味が湧いてくるのは、きのこだけでしょうか💧

 

・・・

 

本当はネコなのに、イヌとして扱われて来て、

イヌの役割を果たすことになる。

ネコとしては「優秀なネコ」だが、イヌとしては「弱いイヌ」である。

そこで「自分はダメなイヌ」と思い込む。

もう一度言う。じつはとてつもなく「優秀なネコ」なのである。

ネコであることに気づけば、社会に居場所はある。

しかしイヌと思っているからどこにも居場所がない。

 

・・・

 

↑部分的に抜粋してます。

 

なんだか、とても興味深い例えで、

想像が膨らみます…

 

あぁ…そうか…

きのこは、「きのこである」事に気付いていないのだろうか。

きのこが、「きのこである」事を認めたく無いのだろうか。

きのこは、「きのこ」であろうとしない事で、

苦しみを感じていると言う事なのか。

 

・・・

 

ネコがイヌとして生きているから

「自分が欲しいはずのもの」とはイヌが欲しいものなのである。

自分はドッグフードが欲しいと思っている。

でもじつは本能では魚が欲しい。

 

・・・

 

頑張っても、頑張っても満たされない。

そんな苦しい、暖簾に腕押し状態の感覚。

それって、じつは

自分の求めている物が

自分の求めている物では無かった

…という事だったのか…

 

まぁ…

 

それが何かと問われると、

それが何かを探している最中なのですが…

 

まず、自分がネコである。

と、知る事から、はじめるって事ね。

 

自分が「きのこである」と知る。

 

 

自分が「自分である」と認識する。

 

 

自分が「自分」として生きる。

 

 

自分が自分を受け入れる。