きのこちゃん絵日記2

きのこちゃん絵日記リターンズ 〜生息47年目。関節リウマチで休養中。もがく日々の備忘録〜

2019年8月14日 気づいたこと

いつか心療内科に行ってみよう…

と思っているうちに、

随分時が経過してしまった…(汗)

 

それなら、もういいんじゃない?

という気持ちにさえなってきている。

 

それなら何故、

きのこは頑なにこの部屋から出ないのか。

以前と同じ状況にはなりたくないのだ。

だけどどうしたら良いのか

その方向性すらわからない。

そして引きこもる。

 

解決には時間がかかるのだ。(←逃げてない?)

 

予約なしでも行けそうな心療内科も見つけたが

そこの受付が午前中までで、

午前中は睡眠の真っ只中にあるきのこにとっては、

そこもハードルが高いポイントなのである。(←それ、言い訳ですな)

 

…と、言う独り言…

 

どうしようもない、

誰に言ってもどうしようもない、

だけど隠しようのない、

避けようのない己の感情。

 

そんなどうでも良い、

どうでも良くない、ちょっとした話を、

自分は言いたいだけなのかもしれない。

 

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なるほどねー。(客観視)

 

数日前に自分で考えたブログのマイルール。

これを改めて見ると、

(きのこって、どうでも良い事、言いたいだけなんだ〜)

と思ったのでした。

日常の、個人的な、ちょっとしたことばかり。

でもこの「ちょっとした」話。

これを拾わないと苦しくなる。

 

これは、お互い様、ということもある。

きのこは誰かの「ちょっとした」話を聞けているのか?

 

これらをふまえると、

それで、

為になる情報収集を目的とした人との会話に、

違和感を感じるのかもなぁ〜とも思ったのでした。

きのこは「個人」の話をしたい。

その人は「社会的に情報価値のある」話をしたい。

 

そりゃーテーマが合わないわけよ。

 

話を合わせるにしても、

落とし所が合わないから「そうじゃない」と言われて、圧力を感じる。

(そうもこうもない。そうなのに…)と否定された気持ちを味わう。

何かモヤっとを抱えながら話題を探る。

無理する、会話が苦しい。

首根っこ掴まれて、頭を何度も下げさせられている感覚になる。

会話の内容は、そんな心境とは全くかけはなれているのに。

そこで自分の感覚をまた疑う。

自分が間違っているのではないか。と。

 

その人自身もまた、

そこに気づいていなくて相手に自分の求める答えを要求する。

「お前の個人の話はどうでもいい。社会的に価値のある会話をしろ。」と

 

いつまで経っても話がかみ合わない。

 

そしてその人自身も、きのこと同じように

自分の感覚を主張したい、認めてもらいたい。

という事なのだろうと思うけど、同意とは違うし…と返答に迷う。

その人自身も「うんそうだね」と言われない事に対して、

同意を求めても同意を得られなくて、

苦しみを感じていると思う。

 

是非ともブログをやってほしいものよ。

発言の範囲の広さが、断然広い。

聞き手も増えれば、同意も増えるかもしれない。

その人は文章を書くのも上手なので、

向いていると思う。しかし、

ブログは炎上するものだと思っているから、難しいかな…(汗)

(どんな内容を書くつもりだったんだ)

 

という、気づいたことでした。

 

前半が気づいたこと。

後半は「ちょっとした話」でした。